日貫地域

井戸端会議 ~日貫一日スタッフ編(前編)~

hinui

古民家を改修し、地区内外の交流を育むプロジェクト「日貫一日」。

宿泊棟「安田邸」カフェ「一揖」で働くスタッフのみなさんにお話を聞きました。

(写真)右上から時計回りに山本将士さん、石田由佳さん、辻奈緒さん、湯浅那奈さん。

ここで働くことになった経緯は?

インタビュアーS(以下、S):まずはみなさんに、ここで働くことになった経緯をお伺いします。もともと都会にいらっしゃったみなさんですが、どういうきっかけでこの日貫一日と出会われたのですか?

山本将士さん(以下、山本):私は一昨年まで東京でお坊さんになるための大学にいました。卒業して日貫の実家(宝光寺)に帰ることが決まったときに、中学・高校の先輩だった湯浅孝史くん(※日貫一日立ち上げ初期メンバー)から声をかけてもらって。前々から「日貫にこんなところができたんだ」と気になっていたから、すごくありがたい話だと思いました。

S:そもそも実家の宝光寺を継ぐこと(日貫に帰ってくること)は決まっていた?

山本:父からは一言も(継ぐことについて)言われたことはなかったんです。東京にいるとき、30歳を機に転職したんですけど、新しい会社での仕事が結構しんどくて。やだなぁ、やめたいなあ、と思っていた矢先、父からお坊さんの研修旅行に一緒に行かないかと誘われて。そこで出会った浜田市のお寺の住職との話がきっかけで「お坊さんっていう生き方も楽しいかも」と思えたんですよね。

一同:いろんなタイミングがぴったり重なったんだ。

山本:そう。しかも、お坊さんになるには大学に行かなきゃいけないから「今からまた大学生になれるわ」ってうれしくて。仕事したくなかったから、生活が楽しくなりそうだなと思っていました。

湯浅那奈さん(以下、湯浅):私は逆に、こっちに来たときにまだ日貫一日ができていなかったんです。プロジェクトとしては始まっていて建物はあったんだけど、夫(湯浅孝史さん)が携わってるというのはだいぶあとで知ったんですよ。

S:那奈さんは立ち上げ当初からのメンバーですが、最初は知らなかったのですね。

湯浅:当時、実家の千葉からいきなり邑南町に引っ越すのは抵抗があって、一度広島に住んでみようとワンクッション置いていたところで。夫は広島から邑南町に通っていたから帰りが遅いのは仕方ないんだけど、ある日からやたらと遅くなったんですよ。それで、どうやら日貫一日プロジェクトに没頭しているらしいと分かって。

湯浅:ある日、夫に「今やっていることをちょっと見に行ってみよう」と言われて、日貫に初めて来ました。まだ建物はできあがっていなかったけど、内装がすごく可愛くて一目惚れして。「働く人がまだ決まっていないんだけど、ここで働かない?」と夫に言われたのがきっかけです。そこからはもう勢いで、その年の10月に引っ越してきたという感じ。

山本:すごくはやいね。日貫での住まいはすぐに見つかったってこと?

湯浅:徳田秀嗣さん(※日貫一日プロジェクト代表。以下、徳田さん)から紹介してもらって、運良くすぐ決まりました。犬がいるから町営住宅はペット不可で無理だったんだけど、今の家に住まわせてもらえてありがたいですよ。

一同:オープンからずっといる那奈さんは、もう日貫では欠かせない存在だと思う。

山本:「日貫一日といったら那奈ちゃん」って感じだよね。

S:山本さんと同時期にメンバーになった、辻さん、石田さんの経緯も聞かせてください。

辻奈緒さん(以下、辻):私は福岡で働いていたのですが、ある日突然、兄(※)から日貫へ移住すると告げられて。兄が休暇で福岡に帰ってきたとき、少し仕事を手伝ったところ「こっちに引っ越してこないか?」と言われたんですよ。なぜかそのとき、ふと「あぁ、そういう生き方もあるよな」と感じて。ちょうど仕事が行き詰まっている頃だったので、行ってみるかという気持ちになりましたね。

※辻聡志さん。日貫にて島根の特産ブドウ「神紅」の栽培を行っている。

S:そこからどうして、日貫一日のスタッフを?

:最初は、兄が就農するタイミングで移住しようと思っていたんです。すぐに移住しても職がないのでどうしようもないですし。そんなとき、徳田さんから声をかけてもらったんですよ。

一同:また徳田さん…情報網がすごい!

:そう、兄経由で紹介してもらって。電話してくださったんですよね。そこからはトントン拍子ですね。住居も決まって「これは波にのろう!」と思って行きましたね。

湯浅:田舎に対して、不安はなかったの?

:いや、初めて日貫に来たときは、信号機がない、街灯もない、どうやって住むんだ?と思いました(笑)

山本:そういえば、車の運転もできなかったんだよね。

:それもかなり不安でしたね。でも「第二の人生」と思って割り切りました!

湯浅:福岡なら、わりとすぐ帰れるもんね。

:たしかに、日帰りできますよ。

山本:でも、こっち来てから全然帰ってるところ見てないけどね。

一同:(笑い)

石田由佳さん(以下、石田):私はとなりの浜田市が地元なんだけど、高校を卒業してからずっと大阪に住んでいました。自分のなかで「帰ろう」と思い始めてから、色々なことが動き出した感じです。友人に地元に帰ることを話したら「日貫一日」の存在を教えてくれて。帰るんだったらこんな素敵なところで働きたいな思いました。当然、タイミングよく求人募集はなかったから、違うところで働きながらカフェにお客さんとして何度か来ていました。

S:私も石田さんとは、カフェで初めてお会いしましたよね。

石田:そうそう。初めてきたときは、たしか徳田さんがお水を出してくれたと思う。

湯浅:代表自ら!それはなかなかラッキーですね。

一同:(笑い)

石田:その2ヶ月後ぐらいに日貫一日で求人募集が出て。これは今を逃したらだめだと思って応募したんですよね。

湯浅:徳田さんも覚えていたみたいですよ。石田さんが応募してきてくださったときにグループラインで「めっちゃ感じのええ人です」と送っていましたから。

徳田さんご本人が、よいタイミングで登場(一同、笑いが起こる)

徳田:なんでわしが入ると笑いが起こるんよ。

(後編へつづく)

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井戸端会議 ~日貫一日スタッフ編(後編)~
井戸端会議 ~日貫一日スタッフ編(後編)~

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