【茶と糀 梅田屋 鉄穴森卓雄さん、陽子さん】築250年超の古民家で五感を満たす
2020年6月にオープンして5年、今年も白壁の立派な門扉に藍色の「天然氷」の旗がかかる。
今年こそは!と意を決してオーナー夫妻に取材を申し込んだ。毎年5~9月の期間限定オープンであるうえ、広島と島根の2拠点生活をされている。営業日以外で日貫にいらっしゃる、なおかつ時間が取れる、そんなハードルの高い日程調整ができるのだろうかと内心ヒヤヒヤしながら伺った。
結果は二つ返事で「いいですよ」。私の想像以上に気さくな方々だった。お話を聞くなかでますますあたたかな人柄に触れ、築250年を超える家屋のオーラにも圧倒された。今回はそんな梅田屋の魅力にとことん迫りたい。
終の住処として選んだ日貫でお店を始める
お店を始めるきっかけとなったのは、生まれ育った実家を終(つい)の住処(すみか)にしたいという、卓雄さんのたっての希望だった。初めはあまり乗り気ではなかった陽子さんも、徐々に日貫のよさに惹かれていったという。
「縁側で朝ごはんを食べていると、鳥のさえずりや水の音が聴こえてくる。いいなあここは、といつも思います」。広島と日貫を行き来する生活のなかで、それぞれの土地に違ったよさがあると実感するようになった。
夫婦の共通の趣味は温泉巡り。冬は3週間かけてドイツ、ハンガリー、イタリア、スペインなどヨーロッパの温泉を巡るほどの愛好家だ。ここでもふたりは美又温泉やいこいの村に足繁く通っている。
「いこいの村から見える夜景がなんだか愛おしいんですよ。人間の営みを感じてあたたかい気持ちになれます。都会で夜景を見るともの悲しくなってしまうのですが、なんでしょうねこの差は」。自然と共存するようにともる生活の灯を見るのも、こちらでのひそかな楽しみだと話す。
築250年を超える家屋の佇まい
家に伝わる記録に「延享(えんきょう)元年」と残っており、築250年をゆうに超える梅田屋。部屋をぐるっと案内していただいた。
カフェスペースのリノベーションを行うにあたり、昔ながらの面影を崩さないようどこまで手を加えるか頭を悩ませたという。
「急に新しくなると変じゃないですか。それでどうしようかと色々と考えて、格子戸をつけました」。見ると、メインテーブルのあるフローリングの部屋と和室とが、ふすまではなく格子戸で仕切られている。
和室にはあえてモダンな照明を、洋室にはアンティークなシャンデリアをつけることで、和と洋をミックスさせた空間にしたという。それぞれにゆるやかなつながりを持たせることで、自然に「今と昔」が調和しているのを感じた。
奥の座敷に足を踏み入れると空気が変わった。8畳の茶室は当時のまま残されており、手前の4畳の部屋と向かい合うようにして床の間がある。さらにその奥にはにじり口のついた4畳の部屋があり、ここには茶室に入る前に武士が刀を置くための台があったという。
建物を見学し、歴史を感じられるのも醍醐味。建築に精通している人であれば、より一層楽しめるのではなかろうか。
発酵食品に魅せられて
管理栄養士として、現在は大学で栄養学を教えている陽子さん。食物アレルギーをもつ親子を支援する「NPO法人ヘルスケアプロジェクト」を設立し、20年にわたり活動を続けている。
「今は市販品が充実しているけれど、当時はアレルギー対応食が限られていました。それでもケーキだってパンだって食べたい。そんな思いになんとか応えたい」。管理栄養士の仲間たちと考案した700以上のレシピや情報を、ウェブサイト「チームアレルギー」にて発信している。
長年の取り組みのなかで陽子さんが目をつけたのが「発酵食品」。アレルギーの子どもの腸内細菌に関する研究に興味を持ち、発酵について学んだ。日本発酵文化協会認定の<発酵マイスター>という資格も取得した。「発酵って日本人古来のものなんですよ。味噌、しょうゆ、みりん、納豆とかね、本当に奥が深くて、どんどんのめり込みました」
「もともと私も腸があまり丈夫ではなかったんだけれど、発酵食品をたくさん摂るようになって調子が良くなりました。みなさんにもおすすめしたいなと思って」。自らも実感した発酵食品のパワーをたくさんの人に伝えたいと、メニューは糀を使った料理にすることを決めた。
「私、紅茶も大好きなんです。発酵食品でもありますし」。毎年のようにスリランカの茶園を巡るほどセイロンティーがとくに好きだという。現在は10種類の紅茶を提供しており、全ランチメニューに1ポットティーがつく。まさに「茶と糀」というコンセプトどおりだ。提供前にはお客様に好きなティーカップを選んでもらう。フレーバーだけでなく器も、その日の気分や好みに合わせて自分なりのコーディネートを楽しめる。
食材へのこだわり
食材はほとんどが地元産。石見和牛、石見ポーク、天然キャビアなど、邑南町が誇る質の高い食材を使用している。今年は日貫の鮎を使った「鮎御前」もメニューに入れた。日本を代表する鮎料理の名店「割烹 美加登家」(島根・津和野町)に指導を受けた、一夜干しや鮎めしといった鮎のフルコースを堪能できる。
夫婦でこよなく愛する「かき氷」も、梅田屋の看板メニューだ。自分達が納得するものを提供したいと、南アルプス・八ヶ岳から天然氷を取り寄せている。調べてみると、現存する天然氷の蔵元は日本にわずか5軒しかなく、天然氷を使用したかき氷店はそう多くない。実際に島根で取り扱っている店がほかになかったため、販売元から許可が降りたという。
普通の氷よりも温度が高い状態のため、頭がキーンとしないのが天然氷の特徴。地元民や訪れた人からも「頭がキーンとならないかき氷」と評判を呼んでいる。口に入れるとふわりと溶けてなくなるような、滑らかな舌触り。自家製のシロップも上品な甘さで、ついつい食べ進めてしまうおいしさだ。
今の日貫を見つめて
県外客をターゲットとした構想でスタートした梅田屋。オープン後、地域からの意外な反応があったという。「価格も安くはないので、地元の方は来られないだろうなと思っていました。でもオープンしてみたら地元の方がたくさん来てくださったのが、とっても嬉しかったんです」。帰省シーズンに家族みんなで梅田屋を訪れる人も多い。ふたりは地域住民の存在が励みになっていると話す。
「日貫にいると気持ちが穏やかになるのかな。夫婦げんかをしなくなりました」。庭仕事が好きな卓雄さんと、糀料理を日々追求している陽子さん。おのおのが好きなことをして暮らしている。なにもない日貫でも満ち足りた生活ができるのだと、一層確信が深まった。
海外旅行でも、市街地の小さな村を尋ねることが増えたというふたり。王道の観光地から少し足を伸ばしたその先で、すばらしい景色や人に出会えると話してくれた。「日貫と同じなんです。広島から足を伸ばして来てみると、すごくよいところがある。海外の人にも宮島や京都だけではない魅力に気づいてほしいですね」
「6時間ぐらいおられる方もいますよ。もしよかったらお茶室へ泊まって行って下さい、何が出るかわかりませんけど」と笑う陽子さん。料理や会話に集中できるよう、BGMも流していないという。築250年以上の家屋に宿泊するとなると、たしかに何か特別な体験ができるかもしれない。
夫婦の合言葉
最後に、陽子さんは海外旅行で心に残った出来事を話してくれた。丘の上のベンチに座っていた夫婦に「仲がいいですね」と話しかけた陽子さん。夫婦はにこやかに「今、ふたりで夕日を楽しんでいるのよ」と答えた。夕日を楽しむ心の余裕はいままで自分にあっただろうか、とハッとさせられたという。
「向こうの人たちは、会話の最後に『エンジョイ(楽しんで)!』と言ってくれる。それがなんだかすごくいいなと思いました。昨日のことはくよくよしない、明日のことも気にしない、そうか今を楽しまなくちゃって」
「ここでみなさんに楽しんでもらうためには、まずわたしたちが楽しもう。私たちがせかせかしていたらお客様だってゆったりできない。そう思いましたね」
「エンジョイ!」その言葉は今、夫婦の合言葉になっている。先のことを考えるとキリがないけれど、今を楽しむ気持ちがあれば毎日がきっと愛おしくなる。帰り際、笑い合う鉄穴森夫妻を見て、自然と私も笑顔になった。